新型コロナウイルス感染症の収束と内部統制

新型コロナウイルス感染症が蔓延しています。世界の名だたる都市はロックダウンを余儀なくされ、日本においても緊急事態宣言の発令等、世界規模でウイルスとの対峙を迫られています。現在までに、徐々に制限は解除されてきていますが、ウイルスを完全に駆逐できたわけではありません。
ですが、その終わりは必ず来るはずです。

過去に流行したSARSやMERSといった感染症については、WHOや国から「終息」宣言が出されています。“事実上の”という枕詞がつくのですが、ウイルスが完全に駆逐されたわけではないものの新たな感染者が一定期間ゼロになると発せられました。
一方で、新型コロナウイルス感染症の流行が「収束」するという言い方もします。同じシューソクですが、こちらは「終息」よりも早い段階で使用されます。

広辞苑によると、「収束」とは、おさまりをつけること。おさまりがつくこと。使用例としては「事態の収束をはかる」とあります。また、「終息」とは、事がおわって、おさまること。終止。使用例としては「内乱が終息する」とあります。
ウイルスそのものを完全撲滅すると「終息」で、そこまでいかなくとも、社会情勢として事態が落ち着くことを「収束」というと理解をするとよさそうです。

現状で鑑みると、「収束」は、ウイルスに感染するリスクは残るものの、健康な生活を送るには大きな支障がないとして、日常を過ごしていく状態になることをいうのだと思います。
つまり、リスクはあるものの、それを評価して適切に対処しながら、一定の水準を保つ状態・仕組みを維持する、まるで内部統制みたいですね。

財務報告に係る内部統制報告制度といえば、上場企業等は、金融商品取引法の要請で、2008年から適用されています。導入されてから10年以上も経過し、定着化している企業は多いと思われます。
コロナ禍を脱しようとしている今、改めてリスクについて考えさせられることは多くないでしょうか。
何を、どこまで実施すればリスクは回避できるのか。
現状のリスク評価で、統制作業は十分なのか。
リスクを過大に評価しすぎて、統制作業が重荷になっていないか。

内部統制制度に「終息」はないのですが、制度導入時のごたごたは収束しているはずです。しかしながら、健康な生活(健全な企業活動)ができているかどうか、見直す良い時期なのではないかと思う今日この頃です。